インタビュー企画③ その2

2.ユニフォームの思い出

「懐かしいユニフォームやな」「ここにワッペンいれたやつ…作ったんちゃうかな」「いろんなのがあった。緑色のとか!」「そうそう!トランペットの下にペナントぶら下げて」「最初の頃は白の水兵さんみたいなやつ。上下も帽子も白」「えんじ色のも僕らの時に作ったな」

 

今のバンドは青白に金線のものだけです。当時は複数のユニフォームがあったんですね。

3.支えてくれた人々

・発起人の存在

「これ、はしもとのおっちゃんや。若いなあ!」「発起人は、しみず薬局のおっちゃん」「うえだときじさん、娘さんと同級生やった。みえこと一緒に指揮やってたな」

 

当時の保護者や近隣の住民が発起人となって、活動を支えてくれていました。それが当時の子ども達の心に今も残っているようです。

・初代指導者

「内藤先生は、立ち上がりの43年は5年4組の担任やった。翌年は持ち上がりで6年4組」「最初のバトン部の指導者、辻朝子先生も当時5年の担任」

 

s42年バトン部結成。翌43年バンド部結成。初代指導者はバトン、辻朝子先生。バンド、内藤先生、川村光三郎先生(音楽教諭)

 

「これが川村先生。メガネで、ちょっと恰幅のいい方」「しょっちゅう、今日はこっち、あっち、って連れて行かれて。忙しかったよ」「今日はどこどこ小学校の講堂で、合同練習~ってしょっちゅう。放課後も、休みの日も全部」「当時練習って、プレハブやったやろ?夏のくそ暑い時に(笑)」「今土俵のあるところに、プレハブがあって、そこでいつも練習」

・内藤先生の胸中

故内藤先生から始まったトランペット鼓隊の創設。現役の私達からすれば本当に頭が下がる思いで、すごい事です。そんな話をしていると、渡邊さんが内藤先生が晩年お話してくれたことを教えてくれました。

「内藤先生も最初は金管、やりたくないというか、怖かったそうです。金管のためにたくさんのお金が集まってきてね。当時まだ、先生になって2年?ぐらいで。校長先生に、お前やれ、と言われたらしいんですよ。責任は俺がとる、お前が好きなようにやれ、と植木校長先生が言ってくれたから、一歩踏み出したと。亡くなる少し前にご本人からお聞きしました」

内藤先生は最後まで、金管バンド・バトン の事を気にかけてくれていたそうです。

「今から考えたら、ものすごいスパルタやったね。短期間で形にしようと思ったんやろうね」「嘘ついて、休んだことある(笑)」「クラスから何人、って半強制的に入れられたからね。やんちゃな子とか。僕一番先に入れられた(笑)」


♪♪写真をご覧になりながら、他にもたくさん名前が飛び出しました。呼び捨てやニックネームを、そのままを記載します。許可を頂いておりませんので、平仮名表記で書かせていただきます。実行委員会へのコンタクトや、さらなる情報をお待ちしております。ご協力いただきましたみなさま、本当にありがとうございます!

 

亡くなったお友だち(なかはまくん おちあいくん)

 

かつだまりちゃん とよくみさん いながきさん うっちゃん まっさん よしだまこと にしい しみずくん やまもとさん みやわきちかさん(指揮) おかださん はらこ(はらださん) ほんだあっちゃん ふじおか たなか うすぎ やり ふっくん むらたさんのおばちゃん やすだにしおかさん いわたけさん まえかわゆりさん